神奈川宿のみどころ(1)


神奈川宿 旧長延寺 土居跡

旧長延寺・土居跡

京浜急行・神奈川新町駅の近くに、神奈川通東公園があります。ここに昭和40(1965)年に移転するまで長延寺が建っておりました。

開港時にはオランダ領事館に充てられました。明治期の美術家岡倉天心が幼少時この寺に預けられ漢学を学んだそうです。

また、ここは江戸から神奈川宿への入口にあたり、江戸見附といわれる土居(土手のようなもので街道両脇に幅4.2m高さ約2.5mの土盛りをし、その上に竹矢来・竹の柵を設置)がありました。


神奈川宿 良泉寺

良泉寺

海岸山良泉寺といい、浄土真宗大谷派に属するお寺です。横浜開港時、領事館として使用の申し入れがあった時、14世住職 は自ら本堂の屋根を壊し、修理中であると伝えてこれを断ったといわれています。 境内には、横浜で生糸商「糸屋」で成功し「天下の糸平」といわ れた田中平八、駿河出身で茶専門大問屋「岡野屋」の岡野利兵衛、筝曲山田流代表で盲目の人間国宝越野栄松が眠っています。


神奈川宿 笠のぎ稲荷 笠脱稲荷

笠䅣(笠のぎ)稲荷神社

この神社は今から約1070年前の天慶年間(938年~947年)に、観福寿寺(浦島寺)の僧侶が、隣域の山腹に社殿を建立し、伏見稲荷大社の分霊を勧請したと伝えられています。この神社の前を通行する笠をかぶった人の笠が自然に脱げ落ちたので「笠脱稲荷」と呼ばれるようになり、その後、笠脱の脱を「禾」へんに「皇」に改め「のぎ」と読み、笠のぎ稲荷としました。文永11(1274)年 蒙古襲来の折に鎌倉幕府8代執権北条時宗が銘刀と神鈴を奉納し、国家の安泰を祈願したといわれています。境内にある板碑は鎌倉時代末期から南北朝時代の慰霊碑で、この大きさの板碑は極めて少なく横浜市指定有形文化財です。


神奈川宿 能満寺

能満寺

能満寺は鎌倉時代の創建で、高野山真言宗海運山満願院能満寺といいます。土地の住人内海光善が海中から、朽木をすくいあげ供養したところ「虚空蔵菩薩」に変わったと伝えられています。

内海家は慶長6年(1601) 徳川家康から伝馬朱印状を受けた神奈川町名主でした。

1790年頃内海家当主が若くして亡くなったので縁のある石井家がその後、神奈川町名主・本陣となりました。