神奈川宿のみどころ(2)


神奈川宿 東光寺

東光寺

平尾山本願院東光寺といい、真言宗智山派のお寺です。 戦国時代に江戸城を築いた太田道灌が活躍した頃、神奈川付近の所在武士団の首領であった平尾内膳は、小机城で道灌と戦って敗れました。内膳は剃髪して仏門に入り、戦友の霊魂の供養に精進しました。それを聞いた道灌は感心し、自分の守護仏、薬師如来像に「海山をへだつ東の御国よりはなつ光はここもかわらじ」という歌を添えて内膳に贈りました。東光寺の寺号は、この歌が由来となっています。 境内に半面焼損した公孫樹(いちょう)の巨木があります。慶応4(1868)年の神奈川宿の大火と第二次世界大戦で焼け焦げ伐採の危機にありましたが、保存され再生して今日に至っています。


神奈川宿 金蔵院

金蔵院

神鏡山東曼荼羅寺といい、真言宗智山派のお寺です。神奈川宿内で最古(寛治元(1087)年、平安時代末期)で堀河天皇の命を受け勝覚法印が開創した勅願寺。源頼朝が戦勝を祈願したと言われていす。 また、徳川家康も宿泊休息所としておりました。出立の際、境内の紅梅を愛で一枝を折って持ち帰ったといわれ、家康公「お手折りの梅」と有名になり、以来住職は毎年1月に紅梅一枝を江戸城に献上していたといわれております。


神奈川宿 熊野神社

熊野神社

熊野神社は、平安時代に紀伊国の熊野権現を分祀したといわれ、昔は権現山(現 幸ヶ谷公園)にありました。江戸時代中期になって金蔵院の境内に移転しました。その後、明治初めの神仏分離令により金蔵院から分離しました。境内には、慶応4(1868)年の神奈川大火、昭和20年5月の大空襲の大火を生き抜いた「火伏の銀杏」と呼ばれる大銀杏があります。また、境内一帯が米軍に接収された時、2m近い「狛犬」も京浜急行の土手に放置されましたが、現在は修復され境内に鎮座しています。


神奈川宿 高札場

高札場

高札場は、幕府の法度や掟を記した木札を掲示した施設で滝の橋のたもとにありました。宿場の施設として重要で領民の統治に欠かせ

ない施設でしたが、明治6年に廃止されました。写真は、神奈川町本陣石井家文書をもとに神奈川地区センター前に復元したもので、横5m、高さ3.5m、奥行1.5mと大きなものです。