神奈川宿のみどころ(4)


神奈川宿 権現山

権現山

神奈川宿の絵図の街道北側にひときわ高い山が描かれていることが多く、その山を権現山といいます。幕末から明治にかけて台場や鉄道用地の埋立のため削りとられ山はありません。現在は幸ヶ谷公園・幸ヶ谷小学校となっています。権現山は戦国時代、関東管領上杉方の上田蔵人の砦がありました。蔵人が上杉に背き、北条早雲に内通したため上杉方2万の大軍と激戦の末、蔵人の砦が落ちたといわれています。


洲崎大社 神奈川宿

洲崎大社  

洲崎大社は源頼朝の創建といわれています。頼朝は石橋山の合戦に敗れ、安房国洲の崎安房神社で再起をはかり、この地に安房神社の

分霊を祀ったのがこの社の始まりといわれています。洲崎大社の鳥居前の旧東海道を横断して少し下った先に船着場がありました。かつて6月の例大祭には、安房洲崎神社の心霊と海上で出会うために、双方同時に大神輿を海中にかつぎ入れる「お浜下り」という神事が行われました。


普門寺 神奈川宿

普門寺

普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属します。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことによります。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことにより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味で普門とされたと伝えられています。江戸時代後期には、本堂・客殿・不動堂などの建物が建ち、開港当時、イギリス海軍士官の宿舎として使用されていました。


甚行寺 神奈川宿

甚行寺

明暦2(1656)年第一世意圓上人が本山専修寺第14世堯秀上人を招いてこの寺を草創したと伝えられ、真色山と号し浄土真宗高田派に属します。開港当時、本堂は土蔵造りでしたが、改造を加えて一時フランス公使館として使用されました。大正12年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和20年の横浜大空襲でも再度全焼しました。昭和46年に本堂、客殿が再建されました。