神奈川宿のみどころ(5)


高島嘉右衛門 埋め立て 鉄道 横浜 桜木町

鉄道用地埋立てと高島嘉右衛門

明治5年10月、日本で最初に新橋(現汐留)~横浜(現桜木町)間に鉄道が開通しました。神奈川から野毛までは地形上、海の上を走らせることになり、埋立工事に挑んだのが高島嘉右衛門でした。長さ約1.4㎞、幅80mの鉄道用地埋立てを晴天140日間で完成させ、埋立てで得た私有地は高島町と命名され現在に残っています。高島嘉右衛門は日本初のガス灯設置、水道事業、高島学校の設立等、実業家として活躍した後、高島易断を創設しました。

(図は明治14年横浜実測図部分 横浜開港資料館蔵)


青木橋 鉄道 東海道 京急

青木橋

この橋から東神奈川方面を見て右側の幸ヶ谷公園のある丘と左側の本覚寺のある丘とは地続きでした。この丘を切り開き、明5(1872)年に新橋~横浜間(現桜木町)に鉄道が開通し、鉄道をまたいで旧東海道を結んで架けられたのがこの青木橋です。横浜駅が現在地に移設されるまで、青木橋周辺は鉄道(JR)・横浜電気鉄道(市電)・京浜電気鉄道(京急)・東京横浜電気鉄道(東急)各線の神奈川停車場が集中し、交通の要所として賑わいました。


本覚寺 神奈川宿 生麦 ヘボン

本覚寺

青木山延命院本覚寺といい曹洞宗のお寺です。開港当時アメリカ領事館に充てられました。神奈川領事であったドールは、庭の松の枝を払い落とし木の上に星条旗を掲げたといわれます。そして山門を白ペンキで塗りました。今も獅子頭に痕跡が残っています。

 ハリスとの日米修好通商条約締結時に横浜開港を提唱した岩瀬忠震の顕彰碑が山門前に建っています。また、生麦事件の際、負傷したマーシャルとクラークは本覚寺へ逃げ込み、ヘボン博士が治療して一命をとりとめました。


三宝寺 神奈川宿 弁玉

三宝寺

コンクリートの高架橋上に本堂を構える異彩を放つお寺が、浄土宗瑠璃光山医王院三宝寺です。参道も高島山から出入りするように

なっています。第21世住職弁玉和尚が著名で、幕末から明治にかけて文明開化の新事物を巧みにとらえて長歌に詠い注目されました。

 長歌集「由良牟呂集(ゆらむろしゅう)」が、弁玉が没する1年前の明治12(1879)に門人により出版されています。