神奈川宿の民俗・伝説


1.「浦島太郎」伝説

 慶運寺にある横浜市地域有形民俗文化財「浦島太郎伝説関係資料」によると、『相州三浦の住人浦島太夫が丹後の国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が20歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたりそこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦に帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り父母を訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った。』とあります。


2.「神奈川」の地名

 いくつかの言い伝えがありますが、「神奈川」が県名や区名となりました。

神奈川宿の上無川、常に水がかれてわずかな流れで、水源がさだかでないゆえに上無川とい
 う。カミナシガワのミ・シを略して、カナ川というようになった。同様、東京の品川は下無
 川、すなわち  シモナシガワで、モ・シをはぶいてシナ川となったという説。

② 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり、上無川から舟にお乗りになる時、その宝剣
 が水面にうつり金色に輝いたので金 川(かながわ)と名づけたとする話があります。

③ 源頼朝が金川の風光をめで、神大いに示すの地として、神大示川が神奈川となり、それが
 金川にかわり、さらに「神奈川」にもどったという伝えもあります。

④ 現在の神奈川区役所の近くを流れる滝の川がもとカナ川あるいはカヌ川と称し、これが
 神奈川の起こりであるともいいます。